「赤ちゃんの性別、できれば選びたい…」そんな思いを抱えながら、体外受精を検討されている方も多いのではないでしょうか。家族計画を考える中で、性別への希望を持つことは決して珍しいことではありません。
今回は、体外受精における性別選択について、医学的な観点から情報をお伝えしたいと思います。
体外受精で性別選択は可能?日本の現状と法規制
日本における性別選択の法的位置づけ
日本では、体外受精における性別選択は原則として認められていません。日本産科婦人科学会の倫理指針により、医学的な理由がない限り性別を理由とした胚の選別は禁止されています。
これは「命の選別」につながる可能性があり、倫理的な問題があるためです。患者様のお気持ちは十分理解できますが、学会のガイドラインに従い適切な医療を提供する責任があるため、現在の日本では社会的・家族的理由による性別選択は行うことができません。
医学的適応がある場合の性別診断
ただし、重篤な伴性遺伝性疾患を回避するための医学的適応がある場合は、例外的に性別診断が認められることがあります。これは着床前遺伝学的検査(PGT-M)として、日本産科婦人科学会の承認を得て実施されます。
対象となるのは、デュシェンヌ型筋ジストロフィーや血友病など、特定の性別に発症する遺伝性疾患のリスクがある場合です。このような場合でも、事前に遺伝カウンセリングを受けていただき、倫理委員会での審査を経る必要があります。単に「男の子が欲しい」「女の子が欲しい」という理由では認められません。
諸外国の状況との比較
海外に目を向けると、アメリカやタイなど一部の国では、家族のバランスを理由とした性別選択(ファミリーバランシング)が認められています。特にアメリカでは、PGT-Aと呼ばれる染色体スクリーニング検査の過程で性別も判明するため、希望に応じて移植する胚を選択することが可能です。
しかし、ヨーロッパの多くの国では日本と同様に制限があり、医学的理由以外での性別選択は禁止されています。このような国際的な差異は、それぞれの国の文化的背景や倫理観の違いを反映しています。海外での治療を検討される方もいらっしゃいますが、言語の壁や高額な費用、長期滞在の必要性など、多くの課題があることも考慮する必要があります。
着床前遺伝学的検査(PGT)とは
PGT-Aによる染色体スクリーニング
PGT-A(着床前染色体異数性検査)は、体外受精で得られた胚盤胞から数個の細胞を採取し、染色体の数の異常を調べる検査です。この検査により、染色体異常を事前に診断することができます。
検査の過程で、性染色体(XとY)の組み合わせも判明するため、技術的には性別を知ることが可能です。しかし日本では、この情報を性別選択の目的で使用することは認められていません。PGT-Aの主な目的は、流産率の低下と妊娠率の向上です。
PGT-Mによる遺伝性疾患の診断
PGT-M(着床前単一遺伝子疾患検査)は、特定の遺伝性疾患の有無を調べる検査です。両親のいずれかが遺伝性疾患の保因者である場合、その疾患が子どもに遺伝するリスクがあります。
この検査では、疾患の原因となる遺伝子変異を直接調べます。伴性遺伝性疾患の場合、性別によって発症リスクが異なるため、医学的に性別診断が必要となります。例えば、X連鎖劣性遺伝の疾患では、男児の発症リスクが高くなります。このような場合に限り、日本でも性別を考慮した胚選択が認められています。
性別判定のメカニズム
性別は、性染色体の組み合わせによって決まります。女性はXX、男性はXYの組み合わせを持ちます。PGTでは、胚盤胞から採取した細胞のDNAを解析し、Y染色体の有無を確認することで性別を判定します。
この技術の精度は非常に高く、99%以上の正確性があります。ただし、まれにモザイク(異なる染色体を持つ細胞が混在する状態)の場合があり、100%確実ではないことも理解しておく必要があります。また、検査には胚へのわずかなダメージのリスクもあるため、医学的な必要性がない限り実施すべきではないというのが現在の医学界の共通認識です。
性別選択が認められるケース
伴性遺伝性疾患とは
伴性遺伝性疾患は、性染色体(特にX染色体)上の遺伝子変異によって起こる疾患です。これらの疾患は、性別によって発症率や重症度が大きく異なるという特徴があります。
最も多いのはX連鎖劣性遺伝で、保因者の母親から男児に遺伝する確率が50%となります。女児は通常、もう一方の正常なX染色体があるため発症しませんが、保因者となる可能性があります。このような疾患のリスクがある場合、健康な子どもを授かるために性別選択が医学的に正当化されます。十分な遺伝カウンセリングを通じて、最善の選択ができるようサポートしています。
具体的な疾患例と適応基準
日本で性別選択の適応となる主な伴性遺伝性疾患には、デュシェンヌ型筋ジストロフィー、血友病A・B、X連鎖精神遅滞、副腎白質ジストロフィーなどがあります。これらは重篤な疾患で、根本的な治療法が確立されていないものも多くあります。
適応基準は厳格に定められており、①重篤な遺伝性疾患であること、②他に有効な治療法がないこと、③遺伝子診断が確立していること、などの条件を満たす必要があります。また、ご夫婦のいずれかが確実に保因者または患者であることが、遺伝子検査で証明されている必要があります。単に家系内に患者がいるという理由だけでは適応になりません。
申請から承認までの流れ
医学的適応による性別選択を希望される場合、学会の認定を受けた施設において相談が必要です。まず遺伝カウンセリングを受けていただき、遺伝カウンセラーや臨床遺伝専門医が疾患の詳細や遺伝形式、PGT-Mのメリット・デメリットについて詳しく説明します。
その後、施設内の倫理委員会での審査を経て、日本産科婦人科学会への申請を行います。学会では、提出された資料を基に慎重に審査が行われ、承認されれば検査の実施が可能となります。この過程には通常3~6か月程度かかります。承認後も、定期的な経過報告が義務付けられており、適切な医療が提供されているか継続的にモニタリングされます。このような厳格な管理体制により、医学的に必要な場合に限って性別選択が行われています。
体外受精の成功率と性別の関係
胚盤胞の性別による着床率の違い
興味深いことに、最新の研究では胚盤胞の性別によって着床率にわずかな違いがあることが報告されています。一般的に、男性胚(XY)の方が女性胚(XX)よりもやや成長が早く、胚盤胞到達率が高い傾向があります。
しかし、着床後の妊娠継続率を見ると、女性胚の方がわずかに高いという報告もあります。これは、Y染色体を持つ男性胚の方が環境ストレスに対して脆弱である可能性を示唆しています。ただし、これらの差は統計的には小さく、個々の胚の質の方が成功率により大きな影響を与えます。
最新の研究データから見る傾向
2024年に発表された大規模研究では、約10万周期の体外受精データを解析した結果、出生時の男女比は自然妊娠とほぼ同じく、男児がわずかに多いことが確認されました。これは、体外受精という技術が性別のバランスに大きな影響を与えないことを示しています。
一方で、凍結融解胚移植では、新鮮胚移植と比較して女児の割合がわずかに高くなる傾向が報告されています。これは凍結融解のストレスに対する耐性の性差による可能性が考えられていますが、まだ明確な結論は出ていません。また、培養液の組成や培養期間によってもわずかに性比が変化する可能性が示唆されており、現在も研究が続けられています。
年齢による影響
母体年齢と胚の性別の関係についても、いくつかの興味深い知見があります。高齢になるほど染色体異常の頻度は男女胚ともに増加しますが、特にX染色体の異常(ターナー症候群など)は比較的若い年齢でも見られることがあります。
40歳以上の女性では、染色体正常胚の割合が大幅に低下しますが、性別による差はほとんど見られません。つまり、年齢による妊娠率の低下は性別に関係なく起こる現象です。
性別への希望と向き合うために

カウンセリングの重要性
体外受精を検討される多くの方が、心の中で性別への希望を持っています。これは自然な感情であり、決して否定されるべきものではありません。しかし、その希望が強すぎると治療へのプレッシャーや、授かった後の育児にも影響を与える可能性があります。
ご希望に応じて、心理士への相談も可能です。ご夫婦の思いを整理するお手伝いをいたします。なぜその性別を希望するのか、その背景にある思いは何か、じっくりと向き合うことで本当に大切なものが見えてくることがあります。時には、性別への強いこだわりが、ご自身の生育歴や家族関係に起因していることもあります。カウンセリングを通じてそうした思いを解きほぐし、より柔軟な気持ちで治療に臨めるようになる方も多くいらっしゃいます。
授かることの意味を考える
不妊治療は、時に長く辛い道のりとなります。その過程で、「なぜ子どもが欲しいのか」「親になるとはどういうことか」を深く考える機会となります。性別への希望も、その一部として捉えることができます。
経験上、最終的に大切なのは性別ではなく、授かった命との出会いだということです。体外受精を経て生まれてくる子どもたちは、多くの人の支えと、ご両親の強い思いによってこの世に誕生します。その奇跡的な出会いの前では、性別という要素は小さなものになるのかもしれません。どんな子どもであっても、かけがえのない存在として迎え入れる準備を、治療と並行して進めていただければと思います。
まとめ
体外受精における性別選択は、日本では医学的理由がある場合を除いて認められていません。これは倫理的な配慮に基づく規制であり、命の選別を防ぐための重要な指針です。
技術的には可能であっても、それを実施するかどうかは社会全体で考えるべき問題です。性別への希望を持つことは自然な感情ですが、不妊治療を通じてより大切なものに気づく機会にもなります。
性別にかかわらず、健康な赤ちゃんを授かることを第一に、一緒に治療を進めていければと思います。