
なぜ不妊治療のスタートラインで「性感染症検査」が必要なのか
自覚症状がなくても進行する「サイレント・キラー」のリスク
「おりものの異常もないし、痛みもないから私は大丈夫」。そう思っていませんか?実は、不妊に関わる性感染症の多くは、女性側に明確な自覚症状が出にくいという特徴があります。 例えば、不妊症の大きな原因となるクラミジア感染症は、感染していても約8割の女性が無症状だと言われています。自覚症状がないまま放置してしまうと、菌が子宮の入り口から奥へと侵入し、子宮内膜、さらには卵管へと炎症を広げてしまいます。 「検査をして初めて感染に気づいた」というケースは決して珍しくありません。不妊治療をスムーズに進めるためには、まず隠れた感染症がないかを確認し、身体の状態をクリアにすることが大切です。
卵管閉塞や癒着の原因となるクラミジア・淋菌
なぜ性感染症が不妊につながるのでしょうか。その最大の理由は「癒着(ゆちゃく)」と「閉塞(へいそく)」です。 特にクラミジアや淋菌は、子宮のさらに奥、卵子と精子が出会う場所である「卵管」や、卵管周囲の腹膜に炎症を引き起こします(骨盤腹膜炎)。炎症が治った後も、傷跡が残るように組織同士がくっついてしまったり(癒着)、卵管が詰まってしまったり(閉塞)することがあります。 卵管が詰まると、精子と卵子が出会えなくなり、自然妊娠が難しくなります。また、卵管の動きが悪くなることで、受精卵が子宮にたどり着けず「異所性妊娠(子宮外妊娠)」を引き起こすリスクも高まります。これらは一度起こると自然治癒は難しいため、早期発見が何よりも重要なのです。
母子感染やパートナーへの感染を防ぐための必須マナー
不妊治療における性感染症検査には、ご自身の体を守る以外にもう一つ、重要な目的があります。それは「生まれてくる赤ちゃん」と「パートナー」を守ることです。 もし感染に気づかないまま妊娠した場合、出産時に産道を通して赤ちゃんに感染(母子感染)してしまうリスクがあります。例えば、淋菌やクラミジアは新生児の結膜炎や肺炎の原因となり、梅毒やHIVはさらに深刻な影響を及ぼす可能性があります。 また、体外受精などの高度な治療を行う際、クリニック内での検体の取り違えや汚染(クロスコンタミネーション)を100%防ぐための安全管理上、感染症検査は必須とされています。これは、あなたと、周りの患者様、そして未来の赤ちゃんを守るための医療機関としての責任でもあるのです。
一般不妊検査(スクリーニング検査)の全体像と性感染症検査の位置づけ
一般不妊検査の基本セット(血液・超音波・造影検査)とは
一般不妊検査とは、不妊の原因を特定するために行われる一連の基本検査(スクリーニング検査)のことです。通常、生理周期に合わせて数回に分けて行われます。 主な内容は以下の通りです。
| 超音波検査(エコー) | 子宮筋腫や卵巣の腫れ、卵胞の育ち具合などを視覚的に確認します。 |
| ホルモン検査(血液検査) | 卵巣機能や排卵に関わるホルモン(LH, FSH, E2, プロゲステロンなど)の値を測定します。 |
| 子宮卵管造影検査 | 造影剤を流してレントゲンを撮り、卵管の通りや子宮の形を調べます。 |
| 精液検査 | 男性側の精子の数や運動率を調べます。 |
性感染症検査は、この「基本セット」の最初の段階、初診時の血液検査やおりもの検査として組み込まれています。
性感染症検査が含まれるタイミングと検査方法
初診時または治療開始前の初期段階で性感染症検査を行います。 検査方法は大きく分けて2つです。
| 血液検査 | HIV、梅毒、B型・C型肝炎、クラミジア抗体などを調べます。採血だけで済むため、ホルモン検査と同時に行われることが一般的です。 |
| おりもの検査(分泌物検査) | 内診台に上がり、子宮の入り口(子宮頸管)や膣内の分泌物を綿棒で採取します。クラミジア抗原(現在菌がいるか)や淋菌の有無を調べます。痛みはほとんどありません。 |
特に「卵管造影検査」を行う前には、必ずクラミジア等の検査で「陰性」を確認する必要があります。感染がある状態で造影剤を流すと、菌をお腹の中に広げてしまい、腹膜炎を引き起こす危険があるためです。
ブライダルチェックと一般不妊検査の違い
よく混同されるのが「ブライダルチェック」と「一般不妊検査」です。 ブライダルチェックは、結婚前後のカップルを対象とした「健康診断」のような意味合いが強く、主に性感染症や子宮頸がん、風疹抗体などをチェックします。妊娠できる能力(不妊原因)を深く掘り下げる検査が含まれていない場合もあります。 一方、一般不妊検査は「妊娠すること」を明確なゴールとし、排卵の有無や卵管の通り具合など、機能的な部分まで踏み込んで検査します。 「まずは検査だけ」という場合でも、将来的に治療を視野に入れているなら、不妊治療クリニックでの検査をおすすめします。
不妊検査で調べるべき主な性感染症と不妊への影響
【最重要】クラミジア感染症(抗体検査と抗原検査)
不妊治療において最も重要視されるのがクラミジアです。検査には「抗原検査」と「抗体検査」の2種類があり、それぞれ意味が異なります。
| 抗原検査(おりもの検査) | 「今」、子宮の入り口にクラミジア菌がいるかどうかを調べます。陽性であれば、現在進行形で感染しているため、抗生剤での治療が必要です。 |
| 抗体検査(血液検査) | 「過去」に感染したことがあるかを調べます。IgG抗体とIgA抗体という数値を測定します。 |
ここで重要なのは、「抗原(現在)が陰性でも、抗体(過去)が陽性ならリスクがある」という点です。過去に感染していた場合、すでに卵管にダメージ(癒着や閉塞)が残っている可能性があるため、より詳細な卵管の検査が推奨されることがあります。
淋菌感染症(子宮頸管炎・骨盤腹膜炎のリスク)
淋菌(りんきん)は、クラミジアに次いで多い性感染症です。女性の場合、おりものの増加や不正出血が見られることもありますが、やはり無症状のケースも少なくありません。 淋菌は感染力が非常に強く、進行も早いのが特徴です。子宮の入り口(子宮頸管炎)から上行感染し、卵管炎や骨盤腹膜炎を引き起こすと、卵管周囲に激しい癒着を引き起こします。これが原因で「ピックアップ障害(卵巣から排卵された卵子を卵管がキャッチできない状態)」になり、重度の不妊症につながることがあります。
梅毒・HIV・B型/C型肝炎(院内感染防止と母子感染予防)
これらは「感染症法」で定められた感染症であり、直接的に「妊娠しにくくなる」原因とは異なりますが、不妊治療を受ける上では必須の検査項目です。
梅毒:近年急増しており、妊娠中に感染していると胎盤を通じて赤ちゃんに感染し、先天梅毒(発育不全や障害)を引き起こすリスクがあります。早期発見で抗生剤による完治が可能です。
HIV、B型・C型肝炎:これらは血液や体液を介して感染します。治療において精液や卵子を取り扱う際、他の患者様への感染を防ぐための院内感染対策として、また母子感染を防ぐために、ご夫婦ともに検査結果の確認が必須となります。陽性の場合でも、適切な医療連携のもとで妊娠・出産を目指すことが可能です。
子宮頸がん検査(HPV)との関連性
一般不妊検査と同時に行われることが多いのが「子宮頸がん検査(細胞診)」です。子宮頸がんの主な原因はヒトパピローマウイルス(HPV)というウイルス感染で、これも性交渉によって感染します。 もし妊娠中に子宮頸がんや高度異形成(がんの手前の状態)が見つかると、妊娠の継続や分娩方法に大きな影響が出たり、治療のために子宮を摘出しなければならないケースもあります。 妊娠してからでは行える治療が限られてしまうため、不妊治療を開始する前に子宮頸がん検査を行い、子宮の状態が健全であることを確認しておくことをお奨めてしております。
検査で性感染症が見つかった場合の治療と妊活の進め方
まずは完治が最優先!治療期間の目安
検査で性感染症が「陽性」と出た場合、ショックを受けるかもしれませんが、落ち込む必要はありません。「不妊の原因になり得る芽を、妊娠前に摘むことができた」と前向きに捉えましょう。 陽性が出た場合、不妊治療(タイミング法や人工授精など)は一旦ストップし、完治させることを最優先にします。
クラミジア・淋菌・梅毒など:基本的には抗生物質の内服(または点滴)で治療します。
治療期間:お薬を飲んでから約2〜3週間後に再検査を行い、菌が消えているか確認します。スムーズにいけば1ヶ月程度で治療再開が可能です。
卵管造影検査や人工授精は「陰性」確認後に行う理由
先述した通り、卵管造影検査は子宮内にカテーテルを入れて造影剤を流し込む検査です。もし子宮の入り口にクラミジアや淋菌がいる状態でこの検査を行うと、水圧で菌をお腹の中(腹腔内)へ押し流してしまい、骨盤腹膜炎という重篤な状態を引き起こす可能性があります。 また、人工授精(AIH)や体外受精の移植なども、カテーテル操作を伴います。子宮内を無菌状態に保つことは、受精卵が着床するためのベッド(子宮内膜)の環境を整える上でも非常に重要です。 「陰性確認」は、安全かつ効果的な不妊治療を行うための絶対条件なのです。
過去の感染(抗体陽性)がわかった場合の対応
血液検査でクラミジアの「IgG抗体」が陽性だった場合、これは「過去に感染していた(現在は治っている可能性が高い)」ことを示します。 「今は菌がいないなら大丈夫」と思いがちですが、過去の感染によって、すでに卵管が詰まっていたり、癒着していたりする「後遺症」が残っている可能性があります。 抗体陽性の場合は、たとえ現在菌がいなくても、念入りに卵管造影検査を行うことが推奨されます。また、癒着の可能性が高いと判断された場合は、早めに腹腔鏡検査を行ったり、卵管を使わない体外受精(ART)へのステップアップを早めに検討したりするなど、治療戦略を最適化する判断材料になります。
パートナーの検査も同時に行う重要性
ピンポン感染を防ぐ!
不妊治療における性感染症検査で最も大切なポイント、それは「カップル同時に検査・治療を行うこと」です。 もし女性側だけが検査をして治療・完治したとしても、パートナーが感染していれば、性交渉によって再び感染してしまいます。これを「ピンポン感染」と呼びます。 男性も女性同様、クラミジアや淋菌に感染していても無症状のケースがあります(尿道炎による排尿痛が出ることもありますが、軽微な場合も多いです)。 女性が陽性と診断された場合は、必ずパートナーも泌尿器科等で検査を受け、陽性の場合は二人同時に薬を服用し、再検査で二人が陰性になるまではコンドームなしの性交渉を避ける必要があります。
男性不妊の原因となる性感染症
性感染症は女性だけでなく、男性の妊孕性(妊娠させる力)にも悪影響を及ぼします。
精子の通り道の炎症:淋菌やクラミジアが尿道から逆行して感染すると、精巣上体炎(副睾丸炎)を引き起こすことがあります。これが治癒した後に管が詰まり、精液中に精子が出てこない「閉塞性無精子症」の原因になることがあります。
精子の質の低下:炎症によって白血球が増えると、活性酸素が発生し、精子の運動率やDNAにダメージを与える可能性があります。 男性側の検査は、採尿や採血だけで済むものがほとんどです。未来の赤ちゃんのために、男性も当事者意識を持って検査を受けることが大切です。
一般不妊検査・性感染症検査の費用と保険適用について
保険診療と自費診療の線引き
2022年4月から不妊治療の多くが保険適用となりましたが、検査に関しては「症状の有無」や「目的」によって扱いが異なります。
保険適用になるケース:「おりものがおかしい」「下腹部痛がある」などの症状がある場合や、不妊症の診断のために医師が必要と認めた検査は保険適用となります。
自費診療になるケース:症状がなく、あくまで「念のためのチェック」として行うブライダルチェックや、保険適用の回数制限を超える検査、一部の高度な感染症検査(AMH検査などとセットのドック形式など)は自費診療となります。
よくある質問(Q&A)

Q1: 性感染症検査はいつ受けるべきですか?
A1: 妊活を始める3~4ヶ月前に受けることをお勧めします。万が一感染が発覚しても、治療を完了させてから妊活を開始できます。また、パートナーが変わった場合や、不安な行為があった場合は、その都度検査を受けることが大切です。
Q2: 検査結果が陽性だった場合、不妊治療はできませんか?
A2: 性感染症の治療を優先し、完治してから不妊治療を開始します。多くの性感染症は適切な治療により完治が可能で、治療後は通常通り不妊治療を受けることができます。早期発見・早期治療により、不妊への影響を最小限に抑えることができます。
Q3: パートナーが検査を受けたがらない場合はどうすればよいですか?
A3: パートナーの理解と協力は不可欠です。性感染症は二人の問題であり、将来の赤ちゃんの健康にも関わることを説明しましょう。