皆さんこんにちは。生殖医療クリニック錦糸町駅前院の「胚培養士」川口優太郎です。
「凍結基準を満たす状態の胚盤胞に成長しなかったので培養中止となりました‥‥」
培養室から届くこういった報告に、心を痛められている患者様もいらっしゃるかもしれません。
特に、40代を過ぎた高齢での不妊治療は時間との戦いでもあり、なかなか結果が出ないと焦りや不安がつのるのではないでしょうか。
私は、胚培養士として受精卵を預かり育てる側の立場ですが、やはり胚盤胞に育たず培養を中止する時、非常に残念な気持ちでいっぱいになります。
今回のコラムでは、なぜ胚盤胞まで育たないのか、そしてどうすれば可能性を高められるのか、について培養室での経験を踏まえてお伝えしていきたいと思います。
40代で胚盤胞まで育たない理由とは
卵子の“質”の変化と染色体異常
なぜ高齢になってくると、胚盤胞発生率は低下していくのでしょうか。主な理由として挙げられるのが、卵子の中で顕著な変化が起こる染色体異常の発現です。培養室で受精卵の観察をしていると、受精から3日目くらいまで正常に分割していたはずの胚が、4日目以降に成長が停止し細胞死を起こすことがよくあります。これも、主な原因としては胚の染色体異常と考えられており、簡単に言えば細胞分裂のプログラムが正常に作動しなくなるために起こります。
アメリカ生殖医学会のデータでは、
| 20代~34歳 | 10~20%程度に染色体異常の卵子が認められる |
| 35~39歳 | 25~40%程度に染色体異常の卵子が認められる |
| 40~41歳 | 70%以上に染色体異常の卵子が認められる |
| 42~43歳 | 80%以上に染色体異常の卵子が認められる |
| 44歳以上 | 95%以上に染色体異常の卵子が認められる |
と報告されており、40歳を過ぎると受精卵に何らかの染色体異常が認められる確率は大幅に増加します。われわれ医療従事者が、よく「卵子の“質”」というお話しをするかと思うのですが、これがいわゆる卵子の“質”の根源でもあります。
ミトコンドリア機能の低下
卵子の“質”について言及する上でもう一つ重要なものに、ミトコンドリアの機能があります。
ミトコンドリアは、いわば卵子のエネルギー産生工場でもありますが、年齢とともにその機能が低下していきます。卵子が精子と受精し、胚盤胞まで成長していくには、かなり膨大な栄養素とエネルギーが必要になります。
受精卵を培養する際は、このエネルギー不足を補うために培養液の中に乳酸、ピルビン酸、グルコースなどの受精卵のエネルギー源となる栄養素が添加されています。また、いくつかの培養液には、アンチエイジング作用のある抗酸化剤が添加されているものもあります。
卵子は年齢とともに“老化”する
なぜ卵子の染色体異常の発現の割合が増えていくのかというと、卵子が新しく造られるものではなく、一方的に“老化”していく細胞であるためです。
精子も卵子もヒトの生殖細胞ですが、決定的に大きく違うところがあります。それは、精子は死ぬまで半永久的に造られ続ける細胞なのですが、卵子は新しく造られることは無く一生のうちに使える個数が決まっているという点です。
女性は、産まれた時にすでに一生のうちに使える卵子の数が決まっており、例えるならば、産まれた時はたくさんの実を付けたブドウのような状態です。思春期頃から月経が開始しますが、月経はブドウの実を取っていくようなイメージです。そして、ブドウの実が完全に無くなったスカスカの茎だけの状態が閉経です。
産まれてから新しく造られることは無く、ずっと身体の中にある細胞であるため、身体が年齢を重ねるごとに卵子も年齢を重ねていきます。いま20歳であれば卵子も20歳、40歳であれば卵子も40歳です。どんなに見た目を美しく若々しく保っていても、細胞レベルで見るとどうしても老化を防ぐことはできません。
また、ずっと身体の中にあるものなので、産まれてから現在にいたるまでの様々な影響を受けています。例えば、飲酒・喫煙といった生活習慣や、病気・疾病、服薬歴、食生活などによる影響です。現代の医学において『不老不死』が不可能であるように、卵子は新しく造られることが無いため、一度このようなダメージを受けてしまうと、改善する、回復する、ということは現実的には極めて難しいと考えられています。
染色体異常の割合が増えたり、ミトコンドリアの機能が低下したりするのも、このような『卵子の“老化”』を防ぐということが不可能であることに起因しています。
インターネット上には、「卵子を“質”を上げる」「老化した卵子を若返らせる」といった謳い文句の怪しいサプリメントや妊活関連商品は多いのですが、卵子の“質”や、ミトコンドリアの機能の低下、卵子の“老化”の本質を正しく理解していれば、これらの商品の効果効能が極めて疑わしいということも十分にわかっていただけるのではないかと思います。
培養室で観察される40代の受精卵の特徴
初期分割の遅延パターン
40代の方の受精卵でよく観察されるのが、分割初期段階の遅延です。通常、培養2日目の朝観察の時点で4細胞期胚、3日目の朝観察の時点で6~8細胞期胚に分割しているのが発育スピードとしては正常ですが、高齢の方ではこの発育スピードが遅延することも少なくありません。例えば、2日目で2細胞期胚、3日目で5細胞以下ということもあります。
採卵時の卵子の成熟度や、媒精時間によって他の胚よりも遅延するように見えることはよくあり、それ自体は必ずしも悪いことではないのですが、やはり一定の基準よりも発育スピードが遅いとその後の胚盤胞発生も悪い傾向が見られます。
また、近年ではタイムラプスインキュベーターも多くの施設で利用されるようになってきましたが、40代の方の受精卵では分割タイミングによる異常も観察されるようになってきました。例えば、2細胞→4細胞→8細胞と分割が進んでいく中で、2細胞から4細胞になるまでの時間が極端に長く、4細胞から8細胞になる時間が極端に早い、といった分割時間の配分に大きな偏りがタイムラプスインキュベーターでは観察されることがあります。
このような発育を辿った胚でも胚盤胞に成長することはありますが、正常なタイミングで発育した胚と比較すると、胚移植後の予後が不良であることも報告されています。
フラグメンテーションの増加
フラグメンテーション(泡状に発生する細胞の断片)は、年齢に関係無く発生することはよくありますが、やはり高齢になるほど観察される頻度は高くなる印象があります。
フラグメンテーションは、細胞分裂が起こる際に、一部の細胞質が小さな断片として泡状に分離してしまうことで起こるのですが、少量であればほとんど問題ありません。しかしながら、量が増えるほど、胚の発育に必要な細胞質が減少したり、細胞分裂で細胞が増えていく際にフラグメンテーションに圧迫されたりして、結果的に胚盤胞発生率は低下します。
初期胚の評価を行う際は、Veeck(ヴィーク)分類と呼ばれる評価方法に基づいて胚のグレーディングを行いますが、このVeeck分類の評価のおいてもフラグメンテーションの量は重要な要素であり、フラグメンテーションの量が増加するほどVeeck分類の評価も低くなっていきます。
Compaction期から桑実期胚のタイミング
Compaction期から桑実期胚への変化も、胚発育では重要な転換期です。Compaction期とはある程度細胞分裂を重ねて増殖した細胞同士が一つの塊に融合し始める過程をいいます。
おおよそ培養3日目の午後から4日目あたりに観察されるのですが、40代の方の胚では、このコンパクションが始まるタイミングが遅れたり、細胞同士の融合が不完全だったりすることがあります。
正常なコンパクションでは、細胞同士が完全に密着し、個々の細胞の境界が見えなくなっていくことで桑の実のような形を形成していきます。そして、完全にこの境界が無くなった状態を桑実期胚といいます。
40代の方の胚では、Compactionが起こっていく時にいくつかの細胞が一つの塊として取り込まれていかずに、割球が取り残されてしまう状態が観察されることがあります。このような現象が観察されると、当然胚盤胞となる細胞の一部が欠けているため、胚盤胞発生率が低下する傾向があります。
またCompactionが起こらずにフラグメンテーションがどんどん増加し、最終的に退縮していってしまうという現象も、胚培養士であれば誰しもが経験していると思います。
最新の培養技術で可能性を広げる

タイムラプスによる最適な観察
インキュベーターは女性の身体の中に近い温度や気層環境を作り維持する培養装置のことで、受精卵を培養する上では、いかに胚の培養環境を安定化し、一定に保ち続けることができるのかが最も重点を置く部分でもあります。
しかしながら、従来の培養方法では胚を観察する際に一度インキュベーターから胚を取り出し、顕微鏡下で観察を行う必要がありました。
われわれが暮らす外の環境は、光刺激や、気層環境、温度など、胚にとっては極めて大きな負担を与える環境ですので、観察を行う際は、胚を取り出してから秒単位で素早く観察し、素早くインキュベーターに戻すということが求められていました。
近年導入されるようになってきたタイムラプスインキュベーターは、カメラが内蔵されているインキュベーターで、胚を培養器から取り出すことなく、連続的に観察できる装置になります。
この技術によって、先述したような「成長停滞」や「分割タイミングの偏り・異常」「フラグメンテーションの異常」などを見逃すことなく把握できるようになりました。さらに近年では、AI機能も登場するようになり、タイムラプスのデータを蓄積することで「この分割パターンの胚は胚盤胞になりやすい」「胚移植後の予後が良い」といった予測も可能になってきました。
AI解析を活用した胚評価
先にも解説した通り、最新のAI技術を用いた胚評価システムは、多くの培養室で活用され始められるようになってきました。AIは、人間の目では判別困難な微細な特徴を捉え、胚の発育ポテンシャルをある程度高い精度で予測していきます。
40代の方の胚では、見た目の評価(形態学的評価)と実際の妊娠率が一致しないことがよくあります。それは、結果的にどんなに綺麗な胚盤胞が得られていたとしても、遺伝子や染色体など“中身”に異常を持っている可能性のある胚が一定数混在してきてしまうためです。
例えば、分割タイミングに偏りがあり一定では無い胚などもこれに該当します。AIを活用することで、このような胚の発育過程から、胚が妊娠するポテンシャルを持っているかどうかを判断することが出来るようになってきました。
成功率を高める具体的な対策
卵子の質を下げない、維持するための努力
先にも説明した通り、卵子の“質”を回復させる、改善することは、科学的に考えると常識的に極めて難しいため、「これ以上卵子の“質”を下げない」、「卵子を“老化”させない」ための対策が必要になります。
抗酸化採用のある栄養素を摂取する
ビタミンC、ビタミンE、コエンザイムQ10、ポリフェノール(レスベラトロール)などの栄養素は抗酸化作用を示し、細胞の酸化ストレスを軽減し、いわゆるアンチエイジングに働くと考えられています。
ただし、特定の栄養素だけを摂取するなど偏りがあったり、過剰に摂取してしまったりすると逆効果になることもあるため、医師と相談しながら適切な量を摂取してください。
生活リズムの整備
バランスの良い食事、質の良い睡眠、ストレスの軽減は、卵子の“質”に直結します。
特に、夜の寝ている時間帯にホルモンが最も分泌されるため、最低でも7時間はしっかりと睡眠を取ることが重要です。また、体内時計を整えるために、決まった時間に寝る、決まった時間に起きる、といったことを習慣づけていくことも大切です。
適度な運動
適度な運動は、生活習慣病を予防し、健康増進やアンチエイジングに働くと考えられています。ただし、過度な運動は逆効果になりますし、普段まったく運動しない方が急に運動をすると身体に対しては極端な負荷を与えてしまうことにも繋がります。運動をするときには「気持ちよく汗をかく程度」を心がけるようにし、何よりも短い時間であっても継続して運動する習慣を付けていくということから始めていきましょう。
培養環境の最適化
培養環境の最適化も、40代の方の受精卵では特に重要です。
胚の培養手法には大きく⑴シークエンシャル培養、⑵ワンステップ培養、という2つの培養方法があります。
シークエンシャル培養
シークエンシャル培養とは、胚の成長過程に伴って2種類の培養液を段階的に変更して受精卵を培養していく方法です。受精卵の発育段階に合わせてそれぞれの発育段階で必要となる最適な栄養成分を供給することで、良好な胚の発育を促すことを目的としています。
少し具体的に説明すると、胚発育の前半部分である受精から4~8細胞期胚まではピルビン酸や乳酸を主成分とする培養液を使用し、後半である胚盤胞に向けてはグルコースを多く含む培養液に移し替えていきます。
ワンステップ培養
一方のワンステップ培養は、初期胚から胚盤胞まで、培養液を変えずに一貫して同じ培養液で連続して培養する方法です。ワンステップ培養では培養液の交換や胚の移し替えを一度も行いませんので、培養環境を変えること無く、胚に負荷を与えずに継続して培養することが可能です。
従来は、シークエンシャル培養が一般的でしたが、現在ではワンステップが行われることも増えてきました。
シークエンシャル培養では、培養液の変化や胚の移し替える際に、少なからず胚に負荷を与える操作が加わってしまうため、環境を変えること無く一定の状態で培養が可能なワンステップ培養は、特に高齢の方の受精卵では受ける恩恵が大きい可能性があります。
40代でも諦めない!成功事例から学ぶ
ここからは、私が過去に受け持った患者様の例をご紹介します。
徹底した健康管理によって成功した症例
Aさんは初診来院時39歳で、医療・介護系のサービス業をされている方でした。他院で人工授精を何度か行っていましたが挙児が得られず、私のクリニックに転院をしてきました。
特筆しておくべきなのはAさんのお身体の状態で、肥満度を表す国際的な指数であるBMIが約33.0という(※18.5~24.9までが標準体重とされており、25.0~29.9までが肥満度1。30.0~34.9は肥満度2)かなり大柄な方で、糖尿の傾向や高血圧などの所見も見られる方でした。
最初の採卵では6個の卵子が採れましたが、1個も胚盤胞に育たず凍結胚は得られませんでした。2回目は3個の卵子が採れましたが、この時も1個も胚盤胞に成長せず凍結できませんでした。
先生より、「不妊治療よりも、まずは生活習慣の改善。なによりも健康状態を改善することが先決だ」と告げられ、そこからしばらく来院することはありませんでした。
5か月ほど経ったある日、Aさんが来院されると、まるで別人のように体型が大きく変わっており、この時点でBMIは約25.0まで落ちていました。その後、治療を再開し3回目の採卵を行った時は40歳になっていましたが、6個の卵子が採れ、なんとそのうち3個が胚盤胞に成長し凍結ができました。しかも、グレードは4AA、4BA、4BAというかなり良好な状態でした。
4AAの胚盤胞を移植し、その一回の移植で着床・妊娠し元気な男の子を出産されました。
卵子の“質”という以前に、お身体そのものの健康状態が、良い卵子を獲得し、結果にむずび付けるために重要なのだということを改めて実感した症例でした。
過度な食事制限が不妊を引き起こしていた症例
Bさんは41歳の患者様で、ある競技のアスリートとして活動されている方でした。プロのアスリートであるため、食事などについては厳しく制限をしており、過去には体重を落とすために一日に摂取する水分量を減らす、炭水化物を抜く、といった減量も行っている方でした。
初回の採卵では、卵子が10個近く採れたものの胚盤胞に成長したのは1個のみで、移植を行いましたが妊娠は得られませんでした。
卵子を含めた細胞は、
- 水分:細胞を構成する最も多くを占める溶媒であり、細胞内の化学反応を進める役割を担う。
- タンパク質:細胞の主成分として構造を形成するだけでなく、化学反応を促進したり、細胞の機能を調節したりするなど重要な役割を果たす。
- 炭水化物 ・糖質:細胞のエネルギー源として利用されるほか、細胞間の認識やシグナル伝達に関与し、細胞壁の構成成分となる。
- 脂質:細胞膜の構成成分として細胞の構造を維持したり、エネルギーを貯蔵したり、ホルモンなどのシグナル伝達にも関与している。
- 無機塩類:カルシウムやカリウムなど、細胞の機能を調節する役割を担う。
など、すべての栄養素がバランスよく摂取されることで構成され成り立っています。
これらのことを踏まえ、栄養士やトレーナーを間に立てて食習慣の改善を図ったところ、2回目の採卵では同じく10個程度の卵子が採れ、4個の凍結胚盤胞を獲得することができました。
アスリートで食事の制限が必要だったという部分は特筆するべきポイントかもしれませんが、過度な食事の制限が結果的に不妊を引き起こしていたという典型的な症例でした。
最後に
私自身、胚培養士として長年臨床の現場に従事してきましたが、40代の方の胚を観察していると、統計的な数字以上に、患者様の『個人差』が非常に大きくなっていく印象を持っています。
通常であれば、正規分布の確率密度関数のグラフでは、平均値を中心に数の多いデータが中央に集まり、端に行くほど少なくなる左右対称のベル型曲線を描きます。
分かりやすく言えば、平均的なデータに近いほどそのデータに該当する人の割合が多く、平均的なデータから外れていくほど該当する人の割合が少なくなっていきます。
しかしながら、30代後半から40代になると、受精卵10個のうち10個すべて胚盤胞まで育つ人もいれば、1個も育たない人もいるという、極端な結果が増加していく傾向があるように思います。すこし大袈裟なことを言うと、凍結卵10個の患者様・凍結卵1個の患者様、その平均となっているイメージです。
では、受精卵が胚盤胞に育つ人にはどんな傾向があるか?と言うと、極めて端的に言えば『心身ともに健康な人』です。喫煙や飲酒といった習慣が無い。普段からバランスの良い食事を摂れている。運動習慣がある。といった方は、やはり良好な胚盤胞が育ちやすいと思います。
確かに、若い方と比べればどうしても胚盤胞発生率は低くなります。だからこそ、治療においてはベストを尽くせるための準備をして欲しいと思います。
われわれ医師や胚培養士は、受精卵にとって最適な培養環境を整えるために日々研鑽を重ねていますが、やはり卵子の“質”や“老化”が進んでいると、どんなに技術を尽くしてもなかなか結果は得られません。
先述したような生活習慣の改善はもちろんですが、卵子の質を下げないように現状を維持し、今よりも悪くさせないために自分には何が出来るのかを考え、積極的に行動していっていただきたいと思います。
そして、最も大切なことは「不妊治療は1人で行う治療では無く、カップルで行う治療である」ということです。受精卵は、卵子と精子が融合した細胞であるため、女性だけが必死になって改善に取り組んでも男性側の要因があればやはり胚盤胞に発育していくのは難しくなります。
禁煙・禁酒、食事、睡眠、運動など生活習慣など取り組む際には、赤ちゃんを授かるという最終目標に向けて必ず夫婦で一緒に行う様にしましょう。