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体外受精や顕微授精などの高度生殖医療へと進まれているご夫婦では、
「禁欲期間はどのくらいがベストなの?」
「長く我慢した方が、精子が増えるんじゃないの?」
といった疑問を抱えている方々も多くいらっしゃり、実際に私自身、胚培養士として日々たくさんのご夫婦とお話しする機会がありますが、同じような質問をいただくことがよくあります。精子の状態は治療の予後に大きく関わってくるため、少しでも良い状態で採精したいというお気持ちは誰しもが共通する想いであるようです。
つい「禁欲期間は長ければ長いほどたくさんの精子が集まる」と考えてしまいがちなのですが、実は、禁欲期間は長くなるほど治療の成績を下げてしまう可能性があります。今回のコラムでは、最新のエビデンスに基づいて、体外受精における最適な禁欲期間について胚培養士の視点から分かりやすく解説していきたいと思います。
体外受精における禁欲期間の基本知識
禁欲期間とは?
そもそも禁欲期間とは、射精をした時から次の射精までの期間のことを指します。体外受精(高度生殖医療)では、採卵日に合わせて精液を採取する必要があるため、この禁欲期間の管理が重要になります。
WHO(世界保健機関)の精液検査マニュアルでは2~7日間の禁欲期間が推奨されていますが、これはあくまで「検査」のための基準であるため、「治療」のためには上記の禁欲期間に加えて射精のペース(射精サイクル)も重要であることが多くの研究から明らかになっています。
なぜ禁欲期間は重要?
精子は精巣内の精細管という器官で日々造られ続けており、そして造られた精子は精巣上部にある精巣上体という器官に蓄えられます。この一連の生理学的な過程を造精機能といい、精子を造る・貯蔵するという適切な禁欲期間を設けることで造精機能のバランスを保つことができます。
精液は、精液の液体部分を構成する精漿(せいしょう)と精子に分けられ、精漿は精嚢と前立腺から分泌されます。精漿も精子も、一定期間の蓄積が必要で、射精から次の射精までの期間が短くなったり、回数が増えたりするほど数値は低くなっていきます。その一方で、精子のポテンシャルは、禁欲期間が長くなるほど細胞が古くなっていくため、DNAが損傷した精子の割合が増加していきます。
胚培養士として日々精子を取り扱う中で、禁欲期間の違いによって精子データにさまざまな影響が表れ、患者様毎に治療成績にも違いが出ることを実感することがよくあります。
最適な禁欲期間と射精のペースとは
溜めるほど良いは大きな間違い!
WHO(世界保健機関)が定めているガイドラインでは、精液検査を行う前には、2~7日間の禁欲期間を設けることが推奨されています。つい「採卵の前には射精はせずに溜めておいた方がいいのではないか?」と考えてしまいがちなのですが、医学的な根拠のもとこの2~7日間という期間が推奨されています。
まず、禁欲期間が7日間を超えるような長期間に渡って溜めている状態では、精巣上体の中に古くなった精子が増加していくため、精子の運動率が顕著に低下することが数多くの研究論文などにより報告されています。実際に、禁欲期間が長い患者様では、精子濃度(精子の数)は高くなる一方で、運動率が低下するという症例が頻繁に認められます。また、DFI(精子DNA断片化率。DNAにダメージを受けた精子の割合)なども禁欲期間が長くなることによって増加していくことが報告されています。
反対に、禁欲期間が極端に短い場合では、精液量や精子濃度が著しく低下することがあります。特に、精液量が少ないと操作が煩雑になったり、治療を進めるために必要な数の精子を回収することが難しくなってしまったりすることがあり、治療の選択肢の幅が狭くなってしまうこともあります。
推奨される禁欲期間と射精のペース
上記のWHOが定めているガイドラインは、あくまでも精液検査を行う際の禁欲期間であり、実際の治療においてはさらに短い禁欲期間、具体的には1~4日間程度の禁欲期間を置いた場合で良好な治療成績が得られています。
また、「じゃぁ、採卵日に合わせて1~4日前に一回射精しておけばいいのか!」というと、そういうわけでもありません。例えば、採卵日から数えて最後に射精したのが2日前であっても、そのさらに前に一週間以上もの禁欲期間があるという場合では、当然ながら精巣上体の中には古い精子がたくさん溜まっている状態であるため、採卵に合わせてたった1回射精しただけでは、精子のデータやポテンシャルが十分に回復することは難しいと考えられます。
精巣内では、日々新しい精子が造られ続けているため、精子を造るだけではなく、一定のペースで精子を排出(射精)し、常に細胞が新鮮な状態の精子を精巣上体の中にストックしておくサイクルを作る必要があります。
採卵日に関係無く、普段から1~4日間のペースで射精するサイクルを維持し、精子を造る/精子を溜める/精子を排出する、バランスを保つことに心がける必要があります。
なぜ短い禁欲期間が推奨されるのか?医学的根拠を解説
細胞の老化とDNA損傷のメカニズム
禁欲期間が長くなると、精液中では以下のような問題が発生します。
活性酸素の増加
古い精子から活性酸素が発生し、正常な精子にもダメージを与えます。これにより、精子のDNA断片化率が上昇することが報告されています。DNA断片化率が上昇すると、受精率の低下、胚発生率の低下などにつながってしまいます。
精子のポテンシャルの低下
細胞が古くなることによって精子の細胞膜に損傷を受けると、運動率の低下や受精能力の減少が認められ、卵子との受精率の低下や胚発生率の低下につながってしまいます。
最新研究で明らかになったこと
2024年の研究では、禁欲期間と精子の状態について、以下のようなことが報告されています。
| 精子DNAの損傷率 | 禁欲期間が短いほど有意に低くなる |
| 酸化ストレスレベル | 禁欲期間が短いほど有意に低くなる |
| 妊娠率 | 禁欲期間が短いグループで高くなるほか、流産率も低下する |
| 胚発生率 | 禁欲期間が短いグループで有意に高くなるほか、良好胚発生率も上昇する |
| 運動性 | 禁欲期間が短いグループでは前進運動性精子の割合が増加する |
| 着床率 | 一回当たりの胚移植対着床率に有意な差は見られないが、妊娠継続率、流産率などで禁欲期間が短いグループの方が良好な予後が得られる |
最適な禁欲期間は個人により異なることも
精液検査の結果に基づいて最適な禁欲期間を知る
ここまで『禁欲期間は短い方が良い』と解説してきましたが、しかしながら、すべての患者様に一律で同じ禁欲期間が適しているというわけではありません。精液量や精子の数のベースラインは患者様によって異なるため、例えばベースが基準値ギリギリあるいは基準値を下回るという方では、射精回数が多すぎるとかえって良好な数値が得られないこともあります。
よりよい精子を得るためには、精液検査の結果に基づいて、最適な禁欲期間と射精のペースを知ことが大切です。
精液所見が正常な方
推奨される禁欲期間は1~3日間(ペースも同様)です。精子濃度・運動率ともに十分であるため、精子のポテンシャルを上げられるように生活習慣に気を付けるとともに、射出する習慣を付けることで、常に新鮮な細胞の精子を精巣上体内にストックできるようにしましょう。
精液量が少ない方
普段は1~3日間のペースで射出をしておくことで精子のポテンシャルを上げておくことに意識し、採卵の前は約2~4日間程度の禁欲期間を設けておくとよいでしょう。
精子濃度が低い方(乏精子症)
推奨される禁欲期間は1~2日間で、普段から短期間のペースで射精することで精子のポテンシャルを上げることに意識し、同時に造精機能の活性化に努めていくことで、精子濃度の改善が見られる可能性があります。
精子運動率が低い方(精子無力症)
推奨される禁欲期間は1~2日間で、可能であれば普段から毎日でも射精する習慣を付けておくとよいでしょう。運動率に加えて、DFIなども大幅に改善する可能性が高いです。
年齢や生活習慣を考慮した射精ペースの管理
精子の状態は年齢とともに悪化し、妊娠率の低下や流産・死産などを引き起こす原因になると考えられています。その要因と一つとして、年齢を重ねるとともに射精の機会が減り、禁欲期間が長くなることが指摘されています。
妊娠を目指す場合には、以下のことに注意しましょう
年齢
~39歳までの方は、1~3日間程度のペースで射出する習慣をつけましょう。40歳以上の方では禁欲期間をより短く意識的に射精する習慣を付けましょう。可能であれば1~2日間のペースで少なくとも3ヶ月は継続することで、精子データやポテンシャルが回復する可能性があります。
生活習慣
喫煙・飲酒の習慣がある方では、まずは禁煙・禁酒につとめてください。1~3日間のペースで少なくとも3か月間は継続して射精する習慣をつけることで、データが改善する可能性があります。
ストレス状態
ストレスレベルが高い場合は、精液データが低下する傾向にあります。ストレス管理を行うとともに、無理の無い範囲で意識的に射精し、ポテンシャルの低下を防ぎましょう。
禁欲期間の正しい数え方と実践的なスケジュール例
禁欲期間の正確な計算方法
禁欲期間の数え方をよく誤解されている方がいらっしゃいます。精液検査や治療に入る前に、まずは正しい数え方を理解しておきましょう。
基本的なルールとしては、射精した日は「0日」としてカウントせず、その翌日から「1日目」として数えていきます。おおよそ24時間経過した時に「1日」とカウントしてください。
例えば、月曜日の朝に一度射精した場合、翌日の火曜日の朝が「禁欲1日目」となり、水曜日が「禁欲2日目」となります。水曜日の朝に射精した場合は、月曜日の朝から48時間が経過していることになりますので、「禁欲期間2日」となります。
採卵スケジュールに合わせた実践例
ケース1:採卵日が水曜日で、「禁欲期間1日」としたい場合
火曜日の朝(または月曜日の夜)に射精し、採卵当日の水曜日の朝に採精を行う。
ケース2:採卵日が木曜日で、「禁欲期間2日」としたい場合
火曜日の朝(または月曜日の夜)に射精し、水曜日は一日禁欲、木曜日の朝に採精を行う。
よくある間違いと注意点
「長く我慢した方が良い精子がたくさん採れると思っていた‥‥」というお話しを患者様からよく聞きますが、これは大きな間違いです。
実際は複数の項目で精子データは低下し、妊娠率の低下、流産率の増加を引き起こします。過度な禁欲は逆効果ですので、定期的に射精する習慣を付けておく必要があります。ただし、毎日毎日射精するという場合では、精液量や精子の数が著しく低下することもあります。
意識的に、精子を造る/精子を溜める/精子を排出する、のバランスを保つということを実践をしていきましょう。
禁欲期間以外で精子の状態を良化させる5つの方法
生活習慣の改善
禁欲期間の管理と同様に、非常に重要となるのが日常生活の改善です。
まず、妊活・妊娠・不妊治療において、禁煙は必須であり、クリニックによっては夫婦のいずれかまたは両方に喫煙習慣がある場合、完全に禁煙するまで治療を行わないという施設も実際にあります。飲酒については、量を減らすことを心がけ、少なくとも週3日程度の休肝日を設けるようにしましょう。睡眠習慣も重要で、精子形成に必要となるホルモンは睡眠時に分泌と調整が行われます。7時間程度の睡眠時間を確保できることがベストです。
適度な運動も身体の血流を高め、造精機能を向上させます。30分程度の軽いランニングやウォーキングなど、軽い運動で構いませんので運動習慣を付けることも精子の状態を良化させます。
精巣の温度管理
精子は高温環境の曝露に極めて弱い性質があり、体温よりも2~3℃低い環境下で最も形成が進むと考えられています。
長時間の入浴やサウナを避けるほか、締め付けの強い下着ではなく、トランクスなどの通気性の高い下着へと変えるなど、精巣付近の温度を上げない努力を意識的に行っていく必要があります。
膝上でのノートPCの使用や長時間の座位も、考えているよりも何倍も精巣付近の温度が高くなります。デスクワーク時には、定期的な立ち上がるなどして熱がこもらないようにしましょう。
栄養バランスの良い食事
栄養バランスのとれた食事の摂取を意識的に行いましょう。また不足しがちな栄養素は、サプリメントなどを活用して摂取するのもよいでしょう。
ビタミンC(レモン、いちご)、ビタミンE(アーモンド、ひまわり油)、亜鉛(牡蠣、牛肉、ナッツ類)、葉酸(緑黄色野菜)、鉄(レバー)、CoQ10(青魚、大豆)などは特に摂取したい栄養素です。
ストレス管理
慢性的なストレスは精子の状態を著しく低下させ、ストレスレベルが高くなるほどその差は顕著に表れます。
朝決まった時間に起きる、決まった時間に寝る、といった規則正しい生活リズムを送ることは基本中の基本です。趣味の時間を確保する、パートナーと対話の時間を持つなど、ストレスを発散する時間を作ることも大事です。
一定のペースで意識的に射精する習慣を付ける
治療の時だけでなく、普段から定期的に射精する習慣をつけるように心がけましょう。
妊娠を目指す場合、理想的な頻度は週3~4回程度、最低でも週1回以上は必ず射精するようにしてください。
実際に臨床では、これらの生活習慣の改善プログラムを3ヶ月以上継続された患者様で、胚盤胞発生率の向上や妊娠率の向上が見られています。
よくある質問と胚培養士からのアドバイス
Q1.禁欲期間が短すぎると精子の数が少なくなりませんか?
A1.毎日射精するような場合では、精液量や精子の数が少なくなることがありますが、禁欲期間が短いほど、精子DNAの損傷率、酸化ストレスレベル、妊娠率、流産率、胚発生率、精子の運動性、着床率などで良好な結果が得られることが明確に分かっています。
Q2.クリニックで「禁欲期間は2~7日空けるようにしてください」と案内されましたが、なぜ2~7日間なのですか?
A2.多くのクリニックがWHO基準に基づいて禁欲期間を指導しています。これには医学的な根拠があり、禁欲期間が7日になると活性酸素の増加や、精子そのもののポテンシャルが低下し、細胞が古くなることによって運動率の低下や受精能力の減少が認められます。
Q3.採卵前日の夜に射精しても大丈夫ですか?
A3.個人差はありますが、多くのケースでは問題ありません。ただし、精液量が普段から基準値を下回る方では禁欲していただいた方がよいでしょう。また、採卵前の性交渉はさまざまなリスクを伴うため、控えるようにしてください。
Q4.パートナーが禁欲期間を守ってくれず、治療にもあまり協力的ではありません。どうしたらよいでしょうか?
A4.不妊治療では、ご夫婦お二人の足並みを揃えることは極めて重要な課題です。不妊原因の約半分は男性側にもあるということが数多くの研究論文から示されているため、正しい知識と情報を共有するようにしましょう。ご夫婦でじっくりと話し合う時間を確保したり、このコラムを一緒に読んでいただいたりするのも良いかもしれません。
Q5.仕事のストレスで主人が勃起不全気味で、どうしても禁欲期間が長くなってしまうことが不安です。
A5.ストレスは精子の状態だけでなく、性機能にも影響します。いわゆるEDなどを性機能障害といいますが、クリニックなどでの『採精』という行為そのものにプレッシャーを感じる方も少なくありません。まずは、専門の泌尿器科に相談するというのを検討してみてください。自分で出来る範囲では、ストレス管理を実行してストレスレベルを下げることに努めるとともに、治療の当日は、よりリラックスできる環境で採精するために自宅採精にするなど工夫をしてみるとよいでしょう。
Q6.採卵日の数日前に出しておけば、普段は射精する必要はないですか?
A6. 普段から禁欲期間が長い方では、たった1回射精しただけでは精子の状態がリセットされるとは考えにくいです。普段から一定のペースで射精するサイクルを維持し、精子を造る・精子を溜める・精子を排出するというこの3つのバランスを保つことが大事です。
まとめ|体外受精の成功に向けて
今回のコラムでは、体外受精における最適な禁欲期間について、最新の知見も交えながら胚培養士の視点から解説をしてきました。
治療においては、禁欲期間だけではなく射精するペースも重要だということが分かっていただけたかと思います。
「長く溜めるほどいいんだ!」という禁欲期間についての誤った認識を正し、医学的な根拠に基づいて「常に新鮮な精子を準備する」ということに意識して射精を管理していく必要があります。
不妊原因の約半数は男性側にあり、いかに状態の良い精子を獲得出来るかは、その後の治療の成功の可否にもつながってきます。
もしも不安なことがあれば、遠慮なく担当医や胚培養士にご相談ください。
不妊治療という大きな決断をされたご夫婦がベストを尽くせるように、私たちはいつも万全の準備をしてお待ちしております。