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精液検査の結果に不安を感じているあなたへ
皆さんこんにちは。生殖医療クリニック錦糸町駅前院の「胚培養士」川口 優太郎です。
「精液検査の結果が基準値を下回っている‥‥」そんな結果用紙を眺めながら、不安や焦りを感じてはいませんか?
私は、胚培養士として毎日のように患者様の精液検査を行っていますが、その結果に一喜一憂されるご夫婦もたくさんいらっしゃいます。
確かに基準値は重要な指標ではあるものの、たとえ基準値をはずれているからと言って、即座に「妊娠は不可能だ!」と判断されるわけではありません。
実際の臨床現場では、基準値を少々下回っていたご夫婦で自然妊娠された方もいれば、すべての項目が基準値内であったにも関わらず治療を必要とするご夫婦もいらっしゃいます。
今回のコラムでは、長年、生殖医療の現場に携わってきた胚培養士としての視点から精液検査の基準値について詳しく解説し、検査結果をどう受け止め、どう行動するべきかをお伝えします。
最新のWHO基準(2021年第6版)に基づいたデータと、実際の医療現場で経験した実践的なアドバイスを交えながら、皆様の不安を少しでも和らげることができれば幸いです。
精液検査とは?胚培養士が見ているポイント
精液検査で何がわかるのか
精液検査は、男性側の不妊症の診断において最も基本的かつ重要な検査です。
われわれ胚培養士は、提出された精液を顕微鏡下で観察し、精子の「数」「運動性」「形」を総合的に評価しています。
また、単純に精子の数を数えるだけでなく、精液の性状や精液中に混在している細胞にいたるまで、多角的な視点で分析を行います。これらの情報は、妊娠の可能性を予測したり、適切な不妊治療の方法を選択したり、あるいは生殖補助医療における治療成績を予測する上で欠かせません。
重要なのは、精液検査は「その日」・「その時点」での精子の状態を示すものであり、男性側の生殖能力を直接的に反映するものではないということです。精液所見は日々変動し、ストレスや体調、生活習慣などに大きな影響を受けます。
そのため、一度の検査結果だけではなく、複数回の検査を以て判断することが推奨されています。
検査項目の全体像
精液検査では主に以下の項目を評価します:
| 精液量 | 射精された精液の総量 |
| 精子濃度 | 精液1mlあたりの精子数 |
| 総精子数 | 射精された精液中の総精子数 |
| 運動率 | 動いている精子の割合 |
| 前進運動率 | 前に進む精子の割合 |
| 正常形態率 | 正常な形をした精子の割合 |
これらの項目を総合的に評価し、男性側の不妊症の診断に役立てていきます。
また、体外受精や顕微授精を行う際は、これらのデータを基に最適な媒精方法を選択していきます。
WHO精液検査基準値(2021年最新版)を詳しく解説
2021年に改訂されたWHO第6版の基準値は、世界中の妊娠に至った男性の精液データから算出された「下位5パーセンタイル値」を示しています。つまり、妊娠に至った男性の95%はこの基準値以上の数値を示していたということです。
これらのことから基準値は『下限値』とも表現をされますが、あくまでも「妊娠可能な最低ライン」ではなく統計的な参考値であり、この値がクリアできなくても妊娠することが不可能というわけではありません。
精液量
精液量の下限値は1.4ml以上です。
精液量が少ない場合では、精嚢や前立腺の機能低下、逆行性射精などの射出障害が疑われますが、極端に禁欲期間が短い場合などでも精液量が少なくなることがあります。
精子濃度
精子濃度の下限値は1mlあたり1600万個以上です。
以前のWHO基準(2010年)では1500万個/mlでしたが、わずかに上方修正されました。下限値を下回る場合を乏精子症。1mlあたりに100万個/ml未満の場合を重度の乏精子症。そして精子が全く認められないか、ごく僅かの場合を無精子症と診断します。
精子運動率
精子運動率の下限値は42.0%以上で、うち前進運動率が30.0%以上です。
精子運動率は、精液中の全体の精子のうち運動している精子の割合を算出するものですが、真っすぐに速いスピードで泳いでいく精子(Progressive;PR)も、その場でピクピク動くだけの精子(Non Progressive;NP)も“運動精子”としてカウントされます。
妊娠が成立するために重要なのは、卵管膨大部まで到達し卵子と受精出来るPR精子の割合であるため「精子運動率が基準値内」だからといって安心してはいけません。
奇形率:形態評価
精子の奇形率の下限値は正常率4.0%以上(奇形率96.0%未満)です。
精子の形態は、頭部(やや楕円形で滑らかなもの、空胞が認められないもの)、中片部(頭部の約1.5倍以下の長さで、余分な細胞が認められないもの)、尾部(まっすぐで均一な太さのもの、折れ曲がっていないもの)から構成され、形の綺麗なものをカウントしていきます。
治療においては形が良好なものを選別して用いていきます。
基準値を下回った場合の対処法
再検査の重要性
精液検査で基準値を下回ってしまった場合、まず行うべきなのは日を置いてから再検査を行うことです。精液所見は日によって変動しやすく、一度の検査結果だけで判断するのは適切ではないためです。これは、検査結果が問題無かった場合でも同様のことが言え、検査した日は問題が無くても、人工授精の当日や採卵の当日に精液データが悪かった‥‥ということも臨床ではよくあるケースです。
再検査は推奨される理由:
– 日々の体調の変化に影響を受けやすいため
– 禁欲期間、採取した状況・環境などで影響を受ける可能性があるため
– 一時的なストレス、緊張や疲労(寝不足など)の影響が出やすいため
WHOのガイドラインでも、精液検査は複数回の検査を以て判断することが推奨されています。基準値を下回るという場合では少なくとも2~3回、それぞれ1~3週間の間隔をあけて検査することが望ましいです。
私が実際に経験した症例でも、初回検査で所見が悪くても、2回目、3回目では問題無かったというケースは珍しくありません。
生活習慣の改善ポイント
精液所見を改善するためには、以下の生活習慣について見直しすることが重要です:
喫煙
喫煙は、精子のDNA損傷の割合を著しく増加させ、運動率を低下させます。
ご夫婦のいずれかあるいは両方に喫煙習慣がある場合、妊娠率が半減するという学術的なデータがあります。
飲酒
飲酒は、アルコールの量よりも期間によって影響を受けやすくなることが報告されています。
また、FASD(胎児性アルコールスペクトラム症候群)のリスクを顕著に増加させます。
運動習慣
週3~4回、30~60分程度の有酸素運動が理想的です。
ただし、過度な運動によって身体に負荷をかけると逆効果になることもあります。
食習慣
バランスの取れた食事を摂取することが重要です。
亜鉛、セレン、ビタミンE、葉酸などを含む食品を積極的に摂取しましょう。
睡眠習慣
十分な睡眠時間を確保し(7~8時間)、質の良い睡眠を取ることは、ホルモンバランスを整えます。おおよそ同じ時間に寝て、同じ時間に起きるという睡眠サイクルも重要です。
ストレス管理
慢性的なストレスは造精機能(精巣内で精子を造る機能)に悪影響を与えます。
騒音や職場環境にも影響を受けるという学術的な研究もあります。
陰嚢の温度管理(温め過ぎない)
精子・精巣は熱に弱く、高温化では造精が妨げられたり、運動性や数が低下する傾向があります。
長時間の入浴やサウナ、締め付けの強い下着は避けましょう。
精子は、精子の種となる精原細胞と呼ばれる細胞から、体外に射出される状態の精子になるまで、約74日間かけて発生していきます。そのため、たった数日の間だけ生活習慣を改善したからといって、すぐに結果に反映されることはまずありません。
これらの改善効果が現れるまでには、少なくとも3ヶ月は継続して改善に取り組む必要があります。
医学的治療の選択肢
生活習慣の改善で十分な効果が得られない場合、以下のような医学的治療を検討します:
ホルモン療法
– 男性ホルモンの分泌不足がある場合に適用される
– AGAのお薬を使っているような場合では男性ホルモンが著しく減少することがあるため、減薬や服用を中止する
– 効果が現れるまで長い期間を要することがある
薬物療法
– 抗酸化剤(ビタミンE、コエンザイムQ10など)
– 漢方薬(補中益気湯、八味地黄丸など)
– 効果が限定的で、データが大きく改善することはあまり無い
外科的治療
– 精索静脈瘤の手術
– ESA(精巣上体精子回収術);閉塞性無精子症
– TESE(精巣内精子回収術);非閉塞性無精子症
生殖補助医療(ART)
– 人工授精(AIH)
– 体外受精(IVF)
– 顕微授精(ICSI)
どの治療を選択していくかは、男性側の所見だけでなく、女性側の年齢や病歴、治療歴などを医師が総合的に判断してご提案していきます。
重要なのは、検査結果の良し悪しに関わらず、夫婦で十分に話し合い、納得した上で治療を進めていくことです。
精液検査を受ける時に知っておきたいこと
適切な禁欲期間を設ける
WHOが推奨している禁欲期間は2~7日間です。禁欲期間が精液所見に与える影響は大きく、適切な禁欲期間を守ることで、より正確な検査結果が得られます。
また、例えば検査の3日前に射出していたとしても、その前に10日以上禁欲期間があるというような場合では、正確な検査結果が得られない可能性もあります。
禁欲期間による影響
| 短すぎる場合(1日以下) | 精液量・濃度が低下する |
| 長すぎる場合(7日以上) | 運動率・正常形態率が低下し、DNA損傷率が上昇する |
理想的には2~4日間のペースで普段から射出する習慣をつけておくことが推奨されます。
また、人工授精や体外受精の際も同様の禁欲期間が推奨されます。精子の質を高めるためには、意識的に取り組む必要があります。
ただし、普段の性生活のリズムを大きく変えることは、かえって身体に対してストレスを与える可能性もあるため、まずは無理のない範囲で取り組むようにしてください。
検査当日の注意点
精液検査の精度を高めるため、以下の点に注意してください。
採取前の注意点
– 手洗いを徹底する(細菌の混入・コンタミネーションを防ぐため)
– 緊張状態を解き、リラックスする
– ストレスの無い環境下で行う
採取時の注意点
– 用手法(手淫法)で採取する
– 精液全量を確実に容器に入れる(※こぼしてしまう方が結構います)
– 潤滑剤やコンドームは使用しない(殺精子剤が塗布されています)
採取後の取り扱い
– 自宅採精の場合は1時間以内にクリニックに提出する
– 極端な温度変化を避けるように工夫する
– 温め過ぎないようにする
– 負荷をかけないようにする(振ったりしない)
上手く採取できなかった場合や、一部をこぼしてしまった場合は、必ず医療スタッフに申告してください。正確な評価のために重要な情報となります。
よくある質問と回答

Q1: 基準値を1つでも下回ったら自然妊娠は難しいですか?
A1: そんなことはありません。基準値はあくまでもその日、その時点でのデータであるため、一回の検査で判断することは適切ではありません。実際に、2回目、3回目の再検査では問題が無いという患者様や、検査で基準値を下回っていても自然妊娠される方は多くいらっしゃいます。
Q2: 精液検査の結果は改善できますか?
A2: 重度の乏精子症や無精子症などのケースを除いて、改善できることがあります。ただし、改善が見られるまでに時間・期間を要することも多いため、不妊治療を並行しながら精子側の治療改善に努めていくことも多いです。
また、原因によっては外科的な手術で劇的に改善することもあります。
Q3: 精子はいるものの運動率が0%と言われました。顕微授精も無理ですか?
A3: 運動率が0%でも、生きている精子がいれば顕微授精は可能です。動いていない精子の中にも、卵子と受精可能な生存している精子が含まれていることがあります。
私が実際に過去に経験した症例では、運動率0%の患者様で、HOST法で精子の選別を行い出産にいたったケースがあります。
ただし、運動率0%という症例は、染色体異常や遺伝性の疾患に起因していることが多く、産まれてくる赤ちゃんが男の子の場合ではその形質が遺伝するリスクがあります。
Q4: 自宅採取と院内採取で結果は変わりますか?
A4: 精液を採取する環境によって結果が変わることはあると思います。緊張しやすい方や、ストレスを感じやすい方では、クリニックで採精するよりもリラックスできる自宅採取の方が良い結果が出る可能性があります。ただし、採精してから提出するまでの時間と温度管理が重要ですので、ご自宅からクリニックまで1時間以上かかる場合では院内での採精をお勧めします。
Q5:サプリメントは効果がありますか?
A5:亜鉛、セレン、コエンザイムQ10、L-カルニチンなどは、精液所見の改善に効果があるとする研究がありますが、サプリメントだけで大幅にデータが改善することはまず無いと考えてください。
というのも、サプリメントを含め、食事から摂取される栄養素はヒトではまず生命維持活動に使われていくため、造精機能だけを改善させるということはあり得ないためです。例えば、コエンザイムQ10は、身体の中ではATPと呼ばれるエネルギーの産生を助けるという役割を担っており、このような役割に対して栄養素が優先的に利用されなければ、生命を維持すること自体が難しくなってしまいます。
ただし、心疾患や生活習慣病の予防にも効果があることが知られているため、健康のためにも不足しがちな栄養素を十分に摂っていただけたらと思います。
まとめ
今回のコラムでは、精液検査の基準値について詳しく解説してきましたが、これまで数々の症例を経験してきた胚培養士からのアドバイスとしてお伝えしたいことは『一度の検査結果で基準値以下であったからといって、落ち込む必要はまったく無い!』ということです。
先述した通り、精液検査は「その日」・「その時点」での精子の状態を示すものであり、男性側の生殖能力をそのまま反映するものではないからです。
精液データは日によって変動するため、検査の日がたまたま悪かったということもよくありますし、反対に、検査の日は良かったけど治療の当日にデータが悪かったということもよくあります。
大切なのは、
- 一度だけの検査結果で一喜一憂しないこと
- 複数回の検査を以て総合的に判断していくこと
- できることから生活習慣を改善していくこと
- パートナーとお互い情報を共有し、協力しながら治療に取り組むこと
- わからないことをわからないままにせず、医師や医療スタッフに相談すること
です。
最後に
不妊治療は夫婦二人で取り組むものです。男性側に原因があっても女性側に原因があっても、どちらか一方だけではなく夫婦で一緒にともに向き合っていく必要があります。
私が胚培養士としてのキャリアをスタートした15年前と比較すると、現在では技術は大幅に進歩し、多くの選択肢を患者様に提示できるようになってきました。
検査結果でわからないことがあったり、治療が行き詰まったりしたら、遠慮なく医師や医療スタッフに相談してください。ご夫婦の不安に対して適切な解決案をご提示できるように、全力でサポートさせていただきます。