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「妊娠判定が陰性だった‥‥」
せっかく状態の良い胚の移植を行ったにも関わらず、なかなか思うような結果が得られていない患者様もいらっしゃるのでないでしょうか。実際に私が受け持ってきた患者様の中にも、胚移植後、妊娠判定日まで期待と不安で毎日ドキドキしながら過ごし、結果的に“陰性”と告げられ非常に辛い想いをされている患者様も目にしてきました。
期待した結果が得られない場合、胚移植時に着床の改善を図る方法にはいくつかありますが、その一つとして『アシステッドハッチング』があります。比較的多くの施設で行われている方法なのですが、まれに転院されてきた患者様で、「今まで何度か胚移植をしているけど、アシステッドハッチングは1回もやったことがない」という患者様や、そもそもアシステッドハッチングをご存知無い患者様もいらっしゃいます。
今回の記事では、アシステッドハッチングという技術について、着床率向上との関係や、適応となる症例、着床率にどのような影響を与えるのか、など詳しく解説していきたいと思います。
アシステッドハッチングとは?胚培養士が解説する基本知識
透明帯の役割と着床のメカニズム
卵子・受精卵(胚)は「透明帯」という卵の殻のような膜に包まれています。この透明帯は、受精の際に卵子に複数の精子が侵入することを防ぐとともに、卵子の細胞を保護する重要な役割を果たしています。しかし、着床するためには胚の細胞が拡張することで、この透明帯から完全に孵化(ハッチング)する必要があります。
通常であれば、胚は拡張の力で透明帯を破って外に出てきますが、加齢や高度生殖医療、なかでも凍結・融解の影響によって透明帯が硬くなったり厚くなったりすることがあります。その結果、胚が透明帯から孵化できずに着床に至らないケースが見られます。私たち胚培養士は、治療を進めるなかで胚の状態を詳細に観察し透明帯の厚さや硬さを評価しています。
アシステッドハッチングの施術方法と最新技術
アシステッドハッチングとは、胚の透明帯に人工的に小さな穴や切れ目を作り、胚が孵化しやすくする技術です。現在、主に3つの方法が用いられています。
| レーザー | レーザーを使って透明帯に穴を開けます。 |
| PZD | カッティングピペットとマイクロマニピュレーターを使って透明帯を切開します。 |
| タイロード溶液 | タイロード溶液:酸性の溶液で透明帯を部分的に溶かします。 |
当院では、レーザーを用いたアシステッドハッチングを導入しており、透明帯の一部を開孔する方法では無く、透明帯の完全除去法を採用しています。
アシステッドハッチングによる着床率向上のエビデンス

最新研究データから見る着床率の改善
ASRM(アメリカ生殖医学会)で2022年に発表された大規模メタアナリシスによると、アシステッドハッチングを実施したグループではアシステッドハッチングを実施しなかったグループと比較して着床率が約10~15%向上することが報告されています。特に注目すべきは40歳以上の高齢の患者様においては改善した症例が多いという点です。
日本生殖医学会の最新データでもアシステッドハッチングを適切に実施した場合、全体の着床率はおおよそ10%以上上昇したことが示されています。ただしこれらの効果は患者様の年齢、胚盤胞のグレード、透明帯の状態など、様々な要因によって変動することも明らかになっています。
私自身がこれまでに実施した症例も独自にデータを収集しており、過去3年間で約1,200例のアシステッドハッチングを実施した結果、透明帯完全除去法の実施で着床率が上記のデータよりも有意に高く改善したことを確認しています。
年齢別・症例別の着床率比較データ
年齢別・症例別に見ると、アシステッドハッチングの効果には明確な傾向があります。年齢別では、40歳以上の高齢の患者様で着床率が高くなることが示されています。これは、加齢とともに透明帯が硬化しやすくなることや、胚盤胞の拡張する力が弱くなるためと考えられています。
また、症例別では、反復着床不全(2回以上の良好胚移植で着床しない)の患者様において、アシステッドハッチングにより着床率が大幅に改善したという報告があるほか、胚盤胞の評価(グレード)であるGardner分類においてBB以下(BB・BC・CB・CC)の評価の胚で着床率が向上したデータが示されています。凍結融解胚移植においても、新鮮胚移植と比較して約15~20%近く高い着床率の向上が認められています。(※アシステッドハッチングの実施に関係無く、凍結融解胚移植の方が新鮮胚移植よりも着床率が高いというデータが報告されています。)
これらのデータは、アシステッドハッチングが万能ではないものの、適切な症例選択により大きな効果を発揮する可能性を示しています。
アシステッドハッチングが推奨される症例
高齢(40歳以上)の方
40歳以上の方は、アシステッドハッチングの最も適した症例となります。加齢により卵子の質が低下し、胚盤胞の発生率や、胚盤胞が拡張する力、グレードも低くなる傾向にあるだけでなく、卵子の透明帯も硬くなりやすいことが分かっています。
実際に私が経験したケースでは、他院から転院されてきた42歳の患者様で、前医ではアシステッドハッチングを採用しておらず3回の移植が不成功に終わり、私が勤めていたクリニックに転院されてきました。採卵を実施し、初回の移植でアシステッドハッチングを実施したところ、着床・妊娠に至ったというケースがあります。
反復着床不全の方
良好な胚を2回以上移植しても着床しない反復着床不全の方にも、アシステッドハッチングは推奨されます。反復着床不全の原因は様々ですが、透明帯からの孵化の部分が原因になっている可能性があります。
透明帯からの孵化が着床の障害となっている患者様では、アシステッドハッチングを実施することで着床の可能性を高めることができます。ただし、着床不全の原因は他にもあるため、総合的な検査と治療計画が重要です。
凍結融解胚移植の方
高度生殖医療における凍結融解胚移植では、凍結・融解の過程で透明帯が硬化することがあります。特に、凍結(ガラス化法)では、細胞内の水分を抜く“脱水”という作業があり、この過程で細胞が硬化するのではないかと考えられています。
凍結融解胚移植においては、アシステッドハッチングを実施することで着床率が約15~20%向上するというデータが報告されており、年齢やグレードから胚の状態を評価して、アシステッドハッチングの実施を推奨しています。
アシステッドハッチングの流れとリスク・安全性
治療当日の詳細な流れと所要時間
アシステッドハッチングは、胚移植当日の移植実施3~4時間前に実施されます。まず、-196℃で凍結されている胚を融解し、インキュベーター(培養器)で数十分程度の回復培養を行います。回復培養後、胚の細胞と透明帯の間にレーザーを照射し、透明帯を開孔していきます。実際の施術時間は1個の胚あたり約3~5分程度です。
施術後は再度、胚を培養液に戻し、移植までインキュベーター内で管理します。回復後は、通常の胚移植と同じ流れで進められ、患者様への身体的負担は一切ありません。
起こりうる合併症と発生頻度
アシステッドハッチングは比較的安全な技術ですが、いくつかのリスクは存在します。最も懸念されるのは、施術時の胚へのダメージです。しかしながら、当院に所属している胚培養士では、適切に実施した場合の胚損傷のリスクは1%未満と非常に低いです。
その他のリスクとして、双胎の発生率がわずかに上昇する可能性が報告されています。これは、透明帯の開孔部から胚が2つに分かれて出てくることがあるためですが、当院では透明帯完全除去法を推奨しているため、このようなリスクも低いです。
安全性を高める最新の取り組み
安全性を最大限に高めるため、私たちは常に最新の技術と知識を導入しています。例えば、最新のレーザー装置では、照射エネルギーとタイミング、距離、位置などを精密にコントロールでき、胚へのダメージを最小限に抑えることができます。
また、胚培養士の技術向上も重要です。当院では、定期的な技術研修と症例検討会を定期的に実施し、全ての胚培養士が高いレベルでアシステッドハッチングを実施できる体制を整えています。さらに、施術前後の胚の画像を全て記録し、継続的な品質管理を行っています。
費用と保険適用について
保険適用の条件と自費診療の違い
2022年4月から不妊治療の保険適用が開始されましたが、アシステッドハッチングについても一定の条件下で保険適用となります。保険適用の主な条件は、
- 体外受精・顕微授精の治療を受けていること
- 医師が医学的に必要と判断したこと
- 患者様の年齢が治療開始時点で43歳未満であることです。
保険適用の場合、3割負担で3,000円程度、ここに移植用の高濃度ヒアルロン酸培養液などのいくつかのオプションを付けるとトータルで10,000円程度になります。ただし、保険適用には回数制限があり、40歳未満は通算6回まで、40歳以上43歳未満は通算3回までとなっています。
自費診療の場合、回数制限はありませんが全額自己負担となります。
アシステッドハッチング費用の内訳
アシステッドハッチング費用の内訳は医療機関により少しずつ異なりますが、この費用の内訳としては、使用する機器や消耗品の費用、施術前後の胚の管理費用、胚培養士による施術費用(技術料)などが含まれます。
自費診療で行われる場合、都市部の大規模クリニックでは50,000円前後、地方のクリニックでは20,000~30,000円程度が相場となっています。費用の違いは、使用する機器の種類、クリニックの設備投資、胚培養士の経験値などによるものです。例えば、レーザーアシステッドハッチングでも、いくつかのメーカーが機器を販売しており、使用方法やコストなどはメーカーによって異なります。
よくある質問に胚培養士がお答えします。

Q1: アシステッドハッチングは必ず実施した方が良いですか?
A1: 全ての方に必要というわけではありませんが、アシステッドハッチングをせずに移植を実施し着床しなかった場合に、結果論ではありますが「アシステッドハッチングをしておいた方がよかった‥‥」となる可能性もあるため、積極的に行ってもよい手法だと思います。
Q2: アシステッドハッチングで妊娠率は上がりますか?
A2: 統計上では着床率の向上が認められており、アシステッドハッチングによって着床率が向上したとする学術的な報告は数多くあります。適応となる症例を適切に判断していくことで、この効果をより最大化することができると思います。
Q3: 胚のグレードが低くてもアシステッドハッチングは可能ですか?
A3: 可能です。グレードの低い胚ほど、アシステッドハッチングによる着床率の改善効果は、より顕著に出ることが報告されています。しかしながら、グレードが低い胚、状態の悪い胚では、アシステッドハッチングの手技による負荷を受けやすくなる可能性があります。
Q4: アシステッドハッチングを実施した胚の凍結保存は可能ですか?
A4: 通常、アシステッドハッチングは胚移植の直前に実施するため、アシステッドハッチングを実施してから凍結するということはあまり推奨されません。新鮮胚移植でアシステッドハッチングを行う場合でも、胚移植の直前に実施します。
最後に|胚培養士からのメッセージ
不妊治療を進めていく中で、なかなか思うような結果が得られないと「なにかできることはないか?」と考える方も多いのではないかと思います。アシステッドハッチングもその一つであり、その他の一つ一つのすべての技術が妊娠への可能性を広げていくのではないかと思います。
ご自身の状況に最適な治療を、主治医や胚培養士とよく相談して選択してください。私たち胚培養士は、皆様の大切な胚を最高の技術でサポートできるように、日々、技術研鑽と準備をしています。